7月2011

■朝倉文夫の猫たち

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月16日-9月19日(月曜休館。ただし7月18日開館、19日休館)10-17時(入館16時半まで)中村研一記念小金井市立はけの森美術館(武蔵小金井駅南口徒歩15分)。

「墓守」(1910年)や大隈重信像(1932年)などの肖像彫刻で知られる日本近代彫塑の大家、朝倉文夫(1883-1964)は、自宅で猫(多い時は19匹)を飼い、猫をモチーフにした作品も数多く手がけ、晩年には100体もの猫像を並べる「猫百体展」を構想していた。その作品は自然な仕草と親しみやすさから、美術ファンだけでなく、猫ファンからも幅広い人気を集めている。

2013年まで休館中の台東区立朝倉彫塑館が所蔵する猫のブロンズ像26点を展示。写真左は「吊された猫」(1909年)、同右は「たま」(1930年)。

また、洋画家・中村研一(1895-1967)も猫好きで、初公開作品を含む絵画や陶器のほか、研一と交流のあった洋画家・藤田嗣治(レオナルド・フジタ)が中村を猫に見立てて描いた水彩画「研一猫」も2年ぶりに展示する。

入館者には、研一が自宅(現・はけの森美術館と美術の森)で飼っていた猫「秀ちゃん」が案内役となって、彫刻作品の見方や作家に関するエピソードを紹介するセルフガイド「秀ちゃんのびのび猫の美ガイド」を無料配布。

 

◆    関連イベント(無料。観覧券必要)

■    講演会「猫と作家と彫刻のこと(仮題) 」  7月24日14時-15時半。台東区立朝倉彫塑館研究員・村山万介さんが話す。申し込み先着30人。

■    ワークショップ「ねこのいちにち」  8月19日15時-17時半。ダンスインストラクター・尾崎英世さんの指導で、ねこストレッチから始め、17時15分から発表会(見学自由)を。小学生以上(1-4年生は保護者同伴)申し込み先着15人。

《申》042-384-9800同美術館。

観覧料500円(小中学生200円、未就学児と障害者手帳を持っている人無料)。

http://www.city.koganei.lg.jp/kakuka/shiminbu/shiminbunkaka/hakenomori/hakenomori_top.html

■森の展覧会 オペレーション・コドモタチと共に

7月16-31日の金、土、日曜、祝日12-19時(金曜14時から、最終日17時まで)ギャラリー容(京王井の頭線久我山駅南口、神田川遊歩道を吉祥寺方向に徒歩3分)。

「オペレーション・コドモタチ」はヒップホップMCのDELIさんと映像ディレクターの横川圭希さんが発起人となってスタートしたプロジェクト。福島第一原発事故による高濃度汚染地域から子どもたちとその母親を最優先に避難させることを当面の目的としていて、正しい放射能情報・知識の共有、放射線量測定、避難のアテンダントなどの活動をしている。今回の展覧会は、同プロジェクトに賛同した森妙子さん、山本洋輔さん、奈良敏弥さんが、作家仲間に作品の寄贈を呼びかけ、約80人から寄せられた作品を展示即売し、売り上げから経費を除いたものを活動支援金としてプロジェクトに送る。

また、会期中の土、日曜、祝日14時から(16日のみ13時から)約1時間、イベントを開催。16日は紅林大空さんのライブペイント、17日は琉球列島のシマウタをオリジナルアレンジで歌うシーサーズ、18日は詩人シンガー海洋学者の山下由さん、23日はギター弾き語りのハンサム判治さん、24日は未定、30日はプロジェクトの発起人・横川さんのトークとSARUさんのギター弾き語り、31日はインストルメンタルユニットのママクリオが出演。

《問》090-4269-1980山本。

http://forests716.blogspot.com/

 

 

■内田有+佐藤孝子 

7月9-24日(月、火曜休廊)13-19時、ギャラリー・フェイストゥフェイス(吉祥寺駅公園口徒歩4分)。内田さん(32=武蔵野市)は2011年3月に東京芸大大学院を修了した新進のガラス造形作家。ガラス鋳造で制作した“溶けていくアイスキャンディー” を通して「時間」を表現したシリーズの新作と代表作約10点(写真上)を出品。佐藤さんは武蔵野美大大学院修了の若手造形作家。シルクスクリーンのインクと版画用紙を用いた作品(写真下)約10点を出品。

《問》0422-70-0885同ギャラリー。

http://ftf2000.com/gallery/Gallery_Face_to_Face_gyarari_feisu_to~u_feisu/Gallery_Face_to_Face.html

■一橋大学管弦楽団サマーコンサート2011

7月16日14時、杉並公会堂(荻窪駅北口徒歩7分)。同管弦楽団は1919年創立。現在、一橋大学を中心に約15大学の学生約120人が参加している。指揮は藤崎凡さん。サン=サーンス「交響詩・死の舞踏」、リスト「交響詩・前奏曲」、カリンニコフ「交響曲第一番」を演奏。全席自由1000円(当日券あり)。

《申》080-1057-4722同管弦楽団広報。

http://jfn.josuikai.net/circles/orchestra/index.htm

■吉田美子Bag展

7月5-17日(月曜定休)11-18時、アートの庭(国立駅北口徒歩3分)。吉田さんが海外で買い付けた生地を仕立てて作ったオリジナルのバッグを出品。

《問》042-573-7555アートの庭。

■第8回シビルのつどい記念講演 水島朝穂さん「災害と自衛隊-史上最大の災害派遣をどうみるか」

7月18日13時半-15時半、柴中会公会堂(立川駅南口徒歩5分)。大震災直後から10万人を超える自衛隊が被災地に投入され、救助活動から救援物資の輸送、給食・給水支援、不明者捜索、瓦礫撤去など様々に活躍した。その一方で初めて予備自衛官が招集され、原発の冷却作戦では警察や消防の作業も自衛隊の管理下に置かれた。米軍と自衛隊が現実の作戦で統合運用され、一時的だが米軍が仙台空港を「キャンプ・センダイ」と呼んで管制した時期もあった。

これらの事態をどうとらえたらよいのか。早稲田大学法学学術院教授(憲法・法政策論)の水島さんが自衛隊と災害派遣について話す。

500円。一般社団法人「市民の学習・活動・交流センター シビル」主催。

《申》042-524-9014シビル

■水口智貴 吹きガラス展

7月14-18日11-18時、ファブリカMIA(国立駅南口バス、国立高校前下車)。岡山県倉敷市で吹きガラス工房「ぐらすたTOMO」を開く水口さん(29)が出品。

《問》042-576-4280同店。

http://fabrica-mia.jimdo.com/

http://www.glass-minakuchi.com/top.html

■大震災 小平の市民団体はどう動いたか

7月16日14-16時、小平市民活動支援センターあすぴあ会議室(西武線萩山駅南口徒歩3分)。小平市内の市民活動団体が、救援物資の送り出しや現地での支援活動など、震災後の活動と今後の取り組みを話し、情報交換と懇談をする。同支援センターの第1回市民活動交流サロンとして開催。定員30人。無料。

《申》7月15日までに042-348-2104同センター。

http://kodaira-shiminkatsudo-ctr.jp/

観世流能楽師・中所宜夫の「能楽雑記帳」

 

 

第三回 「天鼓」に見る人間ドラマ  破の段

 

前回は、能「天鼓」の作者は観阿弥の次男・元能と考えられる、というお話をいたしました。その根拠として二つのことを挙げました。

曲中に、世阿弥の私的な手紙と同じ言葉が使われており、それを知り得た人物として、元能は有力な人物であること。後シテとして登場する天鼓の霊が、恨みごとを言わず、ひたすら供養に感謝する有様が、出家である元能にふさわしいこと。

学問的に見ればこの二つだけで、元能作者説を掲げるのははなはだ心許ないことですが、そこは能楽師の空想です。元能を作者と考えることによって、「天鼓」という曲がこれまでと全く違う様相を私に見せてくれたのです。

 

世阿弥を取り巻く人々

 

それをお伝えするために、次に元能を含む、世阿弥を取り巻く人々についてお話ししようと思います。これも、多分に想像を含みます。参考にしていますのは、今泉淑夫著「世阿弥」(吉川弘文館)です。

もう1年あとという異説もありますが、世阿弥は1363年に観阿弥清次(31歳)の子として生まれます。母親がどのような人なのかは全くわかりません。1375年(観阿弥43歳、世阿弥13歳=年齢は数え)に京都新熊野で催した猿楽能興行を室町3代将軍・義満が見学し、以後、観世親子は絶対権力者である義満の庇護を受けてゆきます。その寵愛の様子にさまざまな顰蹙(ひんしゅく)を買いつつも、例えば当時第1級の知識人である二条良基は世阿弥の聡明さに惹かれて進んで教育を施すなどし、その地歩は次第に固まってゆきました。父・観阿弥は、1379年の醍醐寺での7日間の興行で、京洛にその名声を不動のものとし、世阿弥も「親に劣らず上手名誉の者」との評判を得ます。

しかしその5年後の1384年5月19日、父・観阿弥は駿河で急死します。時に52歳、世阿弥22歳のことでした。これ以後10年、世阿弥は公式の記録から姿を消します。世阿弥が父・観阿弥の教えを記したとされる「風姿花伝」の「第一年来稽古条々」には、「二十四五」の項目があり、その次は「三十四五」になります。まさにこの10年の世阿弥の姿をここから伺うことができるのではないでしょうか。「二十四五」の中の言葉です。

「・・・(芸は)この時分に定まるなり。年盛りに向ふ芸能の生ずる所なり。さるほどに、他目にも、「すは、上手出で来たり」とて、人も目に立つるなり。もと名人などなれども、当座の花に珍しくして、立合勝負にも一旦勝つ時は、人も思ひあげ、主も上手と思ひ染むるなり。これ、かへすがへす主のため仇なり。これも真の花にはあらず。年の盛りと、見る人の一旦の心の珍しき花なり。・・・」

・・・(芸は)この時期に出来あがるのである。そして、いかにも若ざかりらしい好演の生まれるときである。こうした次第で、外部から見ても、「さあ、俊秀が現われた」と、世人も特に注目する。また、元来そうとう名人である役者を相手に競演しても、若さによる一時的な花の珍しさで、その時は勝つこともある。そうなると、世人もりっぱな役者だと感服し、青年自身も、おれは俊秀だと思いこむ。しかし、これは、かえすがえすも当人にとって非常な害をなすものである。こうした花も、真の花ではなく、ただ年齢の若さと、見る人が一時的に珍しく感ずるおもしろさにすぎない。・・・(小西甚一訳)「世阿弥能楽論集」(たちばな出版)

当時は近江猿楽の犬王道阿弥や田楽の増阿弥といった人々が名人と言われ、観阿弥死後の義満の贔屓(ひいき)となっていたようです。世阿弥はその間、父の教えを守り、研鑽に研鑽を重ね、時にそれらの名人たちに勝る評価を得ながらも、父の戒めを守って奢ることなく、名人たちの舞台から多くのことを学んでいったのだろうと思います。

そして1394年3月、世阿弥32歳の時、春日神社に参詣した義満の宿所で猿楽を演じた記録があります。同じ年に、義満はまだ幼い義持に将軍職を譲り、自らは太政大臣となって大御所として政務にあたることになりました。

その4年後の1398年に世阿弥の弟・四郎の子、元重が生まれます。このことは記録にあるようなのですが、世阿弥の長男・元雅と次男・元能の生まれがいつなのか、実はわからないのです。最近の研究では、元重が世阿弥の養子となっていたことから、元雅の生年を1401年と見るのが有力のようです。また、元能についてもその年頃は不明確で、中には元能の方が年上であったと考える向きもあるようです。

いずれにしてもこの3人は、世阿弥の下で子供の頃より稽古を重ねていたことは間違いありません。私は、ほとんど同じような年回りだったのではないかと考えています。そして3人が3人とも、並々ならぬ素養を持っていたのではないでしょうか。また、1405年、観世座と同じ大和猿楽の金春座(むしろ来歴ではこちらの方が猿楽の本流であったでしょう)に金春禅竹が生まれています。禅竹は後に世阿弥の娘婿となりますので、その女の子もこの中に交わって暮らしていたと思います。

 

後ろ盾だった義満急死

 

1408年大御所として君臨し、世阿弥率いる観世座の大きな後ろ盾であった義満が、突然亡くなります。一応病死ということになっていますが、あまりに突然の死のため、毒殺を疑う研究者や作家が大勢います。この時、将軍義持は23歳でした。父の築いてきた体制を保ちつつ何とか太平の世を築いた義持でしたが、文化芸術については父とはかなり異なる嗜好(しこう)を持っていました。よく言われるのは禅への傾倒です。そして猿楽よりも田楽を好み、増阿弥をことさら贔屓にしました。世阿弥も禅には人並み以上の嗜(たしな)みを持っていたので、新将軍とは気が合ったのではないかと思いますが、事情はそれほど単純ではなかったのかも知れません。

このころの世阿弥は、天下の名望隠れない大名人であり、政治向きへの影響力も大きかったようです。このあたり豊臣秀吉の下の千利休という雰囲気でしょうか。しかしそれだけに前勢力の残滓(ざんし)と見る勢力もあったでしょう。将軍の田楽贔屓のなかで、一座の運営には非常に神経を使ったことと思います。

1422年、世阿弥60歳の時、醍醐寺祭礼の猿楽を元重がつとめ、一方、世阿弥は出家して元雅に観世大夫を譲ります。翌年、伝書「三道」を元能に相伝し、さらに翌1424年には醍醐寺清滝宮の前楽頭の死去により、元雅が新楽頭に任じられます。

「三道」の相伝というのは、「天鼓」元能説には重要な出来事です。「風姿花伝」「花鏡」などの世阿弥の書き物を「伝書」と呼ぶのは、その書を誰かに特別の教えとして

与えたものだからなのです。そして数ある世阿弥の伝書の中でも「三道」は、「能作書」とも呼ばれ、曲作りについて述べられています。世阿弥の伝書はほとんどが元雅に与えられ、いくつかが禅竹に与えられ、この一書だけが元能に与えられています。それでいて元能作と伝えられている作品はありません。また、元重に与えられた伝書はなく、このことが後年問題となります。

 

籤引で選ばれた新将軍

 

1428年、義持は後継者を定めないまま亡くなってしまいます。そして籤引(くじびき)で新将軍となったのが6代将軍義教です。義教は、長い間、権力を振り回して横暴を極めた暗愚な将軍と見られてきましたが、最近では急速に中央集権を進めて変革を企画したという、新しい義教像も提起されています。いずれにしても、強権をたびたび発動する難しい権力者であったことには違いありません。そしてこの義教のふところの中に、元重がいたのです。

この前年、青蓮院門跡の義円が後援となり、勧進猿楽が稲荷辺で催され、元重が興行しているのですが、この義円が義教その人なのです。世阿弥は観世座と自らの芸の継承を絶やさないために、義持の後継が定まらない中、元重を義円のもとに送り込んだのではないでしょうか。

「天鼓」のお話が大分遠くなってしまいましたが、室町将軍と世阿弥の一族のお話はもう少し続きます。次回は、いよいよ「天鼓」をめぐる人間ドラマ本編です。

 

中所さんの舞台

第2回イーハトーブプロジェクト in 京都 能楽一人らいぶ「光の素足」  9月4日18時、 法然院本堂(京都駅北口バス、錦林車庫前下車)。宮沢賢治「ひかりの素足」をもとに、中所さんが創作した現代能を上演。

緑泉会例会 能「通小町」  9月19日13時、喜多六平太記念能楽堂(目黒駅西口徒歩7分)。6000円( 学生 3000円)。

名古屋九皐(きゅうこう)会 能「松風」  10月1日13時、名古屋能楽堂(名古屋市営鶴舞線浅間町駅)。5000円。

《問》 042-550-4295 中所宜夫能の会。

 

■福島第一ヒバクピアノ・ジャズライブ

7月16日20時、ライブスポット「ランバンブンジバー」(国分寺駅北口)。1991年の湾岸戦争をきっかけに平和と環境コンサートを開催しているピアニスト・河野康弘さん(国分寺市)が、ジャズを聴きながら、原発のこと、放射能汚染のことなどを考えよう、と開く。「レフト・アローン」「星に願い」ほかを演奏。2000円と飲み物代500円。

《問》042-323-9910同店。

http://www.jazz.co.jp/LiveSpot/lanvin.html

http://www.ne.jp/asahi/wahaha/wahaha/

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