観世流能楽師・中所宜夫の「能楽雑記帳」

 

第八回 「芦刈」について・破の段

 

 

年末掲載の予定を私の勝手で1回お休みしてしまいましたが、新年を契機に気持ちを改めて、また書いてゆきたいと思います。よろしくおつきあい下さい。

 

 

語り部について

 

私はウインドウ・ショッピングというものをほとんどしないのですが、本屋だけは例外で、少し知的な仕立てのレイアウトなどされると、思わず読書可能限界を超えて、数冊の本を買い込んでしまいます。

中秋の頃、バルガス・リョサ著「密林の語り部」という本を買い、先月頃から読み始めました。作者は一昨年のノーベル文学賞受賞者で、来日講演の折にもこの作品について多くを語ったのだそうです。ペルーの大学で民俗学を学ぶユダヤ人の青年が、アマゾンの未開部族の語り部となるお話を、作者と思われる「私」が一人称で語り、その語り部の語りを挟みつつ、最後にその語り部が自らのことを語ると言う構成で、無文字文化における語り部のひとつの姿を伝えています。現代文明とは決して相容れない部族の価値観、独特の世界観などが、脈絡のない語りによって呈示され、私たちの価値観の相対性が見事に描かれています。

 

口承の語り部の姿を描いたものとしてこれまで印象にあったのは、萩尾望都著「レッド」に出てくるもので、今詳しくは覚えていないのですが、こちらの語り部は、宇宙のある惑星に集団を形成して、星の運行に支配されながら、年月を送って行く人類のお話だったように記憶しています。集団で音楽を奏でつつ朗唱してゆく姿が、私が思い描いていた古代の語り部と重なっていたのです。

 

どちらの語り部も「異形」のものとして、一般社会から疎外された存在であることが興味深い点です。こういう語り部という存在は、無文字社会の中にあっては非常に重要な存在で、おそらく少し文明が高度になって来ると、必ず現れるのではないかと思うのです。果して日本でも「古事記」の内容を伝承して来た、稗田阿礼という人が語り部のようなものではなかったかと思われます。共同体の正当性を保証する神話の口承は、おそらく膨大な分量を個人または数人の語り部によって語り継いで来たのだと思います。

 

「芦刈  芦売りの男」  平成18年 九皐会例会で演ずる中所さん

 

 

さて「芦刈」のシテ日下左衛門(くさかのさえもん)は、少し大袈裟かも知れませんが、そういう語り部の系譜を継ぐ人であるように、私には思われるのです。主人の乳母を伴って浜辺の市にやって来た従者の前に、件の男はやって来ます。

最初は難波の浦の風光明媚を愛でていたかと思うと、「難波なる。見つとは言わじかかる身に。我だに知らぬ面忘れ。立ち舞う市のなかなかに。隠れ所はあるものを」と思わせ振りなことを口にします。この言葉には下敷になっている和歌があるのだそうで、「君が名も我が名も立てじ難波なるみつとも言うな逢いきとも言わじ」(古今集・読み人知らず)というものです。この和歌を踏まえてのこの部分の意味もまた考えてみたいと思いますが、今の語り部云々とは直接関係がありません。

問題は、自分の身の上をさんざん嘆き続けたのちのワキとの問答の言葉です。「色々な物を売っているけれど、難波の芦を売っているのは、なかなか面白いことです」「そうですね。このあたりでは売る者も買う者も、当たり前のようにしていますが、さすがに都の人は『難波の芦』と歌に詠まれているのをご存知ですね。私も昔は、難波津にあった古い都の住人で、その関係の家の末裔ですが、この枯れ芦と同じようにすっかりおちぶれてしまいました」

さらにすこし後の部分で、「有名なミツの浜というのはどこですか」「忝(かたじけな)くもミツの浜はあれなのですよ」「どうして忝いなどと言うのですか」「おや何ということか。それなら何故ミツの浜と言うのでしょうか。忝くも仁徳天皇がこの難波の浦に皇居を建てられたので、おん津と書いて御津(みつ)の浜と言うのです。」「なるほど面白い謂(いわ)れです。皇居だったから御津の浜ですね。」と続き、最後の一連の言葉は原文でどうぞ。

「波濤海辺(はとうかいへん)」の大宮なれば。漁村に燈す篝火までも。禁裏雲居の御火かと見えて。上、雲上の月卿より。下、万民の民間までも。ありがたかりし恵みぞかし」

 

 

仁徳天皇について

 

 

どうでしょうか。この男が仁徳天皇に寄せる思いが伝わって来ませんでしょうか。私は同世代の中では珍しく、子供の頃に「古事記」の物語などに親しんだので、仁徳天皇が山に登って民の竃(かまど)の煙を見るお話などから、聖王としての仁徳に親しんでいます。戦後の歴史しか学ばない人はうっかりすると、あんな巨大な墳墓を作らせる王様は民を搾取する専制君主に違いない、などと思うのではないでしょうか。それにしてもこの芦刈では、歌枕の御津の浜は知っていても、それが皇居だった故のこととは皆が分らなくなってしまっているその時に、日下左衛門は昔を懐しんでその有様を目前のように伝えています。

 

ところでこの「昔」はどの位昔かと言いますと、仁徳は4世紀末から5世紀初めの人で、芦刈の時代は乳母の習慣が武士階級のものであり、京に仕える主人がいることを思えば、能が創作された室町時代からそれほど遡ることはない、即ち14世紀頃のことですから、仁徳の紀年に多少の問題があるとしても、相当古い、千年昔のことと思っても良いのです。その家に伝えられた伝承というものは、今の私たちが想像するより遥かに永く伝えられて行くようです。現に今でも奈良の旧家などでは、正史と異る伝承を伝えるところがあり、これを一概に後世の創作と退けることは出来ないと思います。そしてその伝承の間に、言葉は磨かれて調子の良い語り口というものが出来上っていくと思うのです。日下左衛門は物売りの口上、すなわち語り口が巧みで評判を取っていたことを思い出せば、そこに伝えられて来た語りの継承というものが感じられないでしょうか。

 

私は、かつて「芦刈」のシテを致しました時に、この人は仁徳朝の栄華に重要な役割を果した人の末裔であり、そのありさまを今に語り伝える役を代々担って来た家の人なのだと、自分なりに思い定めて演じて見たのです。

 

ツレの乳母の女は、三年の間にすっかり様変りしてしまった左衛門に、物売りをしている間は気がつかなかったけれど、仁徳天皇の難波の宮がどうのこうのと言う話になれば、かつて自分がよく聞いていた話なので、それが左衛門だと気付くのです。

 

さて、次回は二人の再会です。

 

【中所さんの舞台】

◆能楽らいぶ 能と薩摩琵琶 「平家物語より 〜滅びと弔い〜」   1月28日14時、横浜市港南区民文化センターひまわりの郷ホール(京浜急行・横浜市営地下鉄上大岡駅)。中所さんのほか、観世流能楽師・遠藤喜久さん、薩摩琵琶錦心流中谷派の荒井姿水さんが出演。前売2500円、当日3000円。未就学児は入場できない。《申》045-848-0800同ホール(http://www.himawari-sato.com/modules/news2/article.php?storyid=101)

◆若竹能復活特別公演「能で綴る平家物語」第一日目「平家台頭」   2月18日16時、矢来能楽堂(地下鉄東西線神楽坂駅矢来口徒歩2分)。能「俊寛」を演ずる。解説は元NHKアナウンサー・葛西聖司さん。正面指定席5000円、脇・中正面指定席4000円、自由席4000円、学生自由席2000円。《申・問》042-550-4295中所宜夫能の会。

◆九皐会春季別会「山姥 白頭」   4月28日13時、国立能楽堂(地下鉄大江戸線国立競技場駅駅A4出口徒歩5分)。

《問》03-3268-7311観世九皐会(http://www.kanze.com/

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