観世流能楽師・中所宜夫の「能楽雑記帳」

第十回  太平記と能(1)

「太平記」と吉川英治著「私本太平記」

「太平記」は後醍醐天皇の即位から室町幕府第2代将軍・足利義詮(よしあきら)の死までを記した物語です。室町から江戸時代まで多くの人に親しまれていたようですが、今では読む人は少ないと思います。かく言う私も古典の太平記は読んでいません。「太平記」が読まれなくなった理由は、いろいろあるかと思いますが、やはり戦前の皇国史観からの反動ということが大きいのではないでしょうか。先日大学生に「楠正成を知っていますか?」と尋ねたら、ほとんどの学生が知りませんでした。歴史のひととおりは学んでいて、後醍醐天皇や足利尊氏、新田義貞までは知っていても、太平記最大のヒーローである楠正成は知らないのです。

私自信は小学生の三、四年生の頃に学校の図書館にあった「千早城のまもり」と言う本を読んで、(その小学校は明治六年開校の学校で古い木造の校舎があり、教室の後ろに掲げられた歴史年表には、南北朝のところが吉野時代と表記されていました。昭和四十年代のことです。今から思うとあれにクレームをつける保護者や先生が、いなかったのだろうかと、とても不思議です)。「へー。楠正成ってすごいな」くらいの感想を持っていたのですが、その影響もあってか、中学生になってからだと思うのですが、吉川英治の「私本太平記」を夢中で読んだことがありました。

ところで、今年は吉川英治没後五十年なのだそうです。そこで私が毎年参加している「青梅アートジャム」というイベントで、吉野梅郷にある吉川英治記念館を会場に、吉川英治オマージュをしようということになりました。「宮本武蔵」も「新平家物語」も読んでいない私は、「私本太平記」をテーマにしようと思い、これを読み返してみたのですが、色々の発見があり、とても面白い読書体験をしました。その内容は大きく二点にまとめられます。一つは能について、そしてもう一つはとても私的なことです。

太平記の中に見える能の情景

最初の一点は、能に描かれる情景が太平記の中に見えて来るということです。

もちろん私が読んだのは私本太平記ですから、太平記そのものではありません。しかし英治はどうも能にはあまり詳しくなかった(終わりの方で観阿弥が出てくるのですが、猿楽ではなくて田楽の役者になっています)ようですし、大筋においては古典に忠実に書いているとのことですから、そこに能の情景が見えるということは、返って古典の太平記の記述を伺わせるのではないでしょうか。日野俊基卿が捕えられて鎌倉に護送される場面で、能の「盛久」の冒頭の道行の景色が重なり、後醍醐が京都を脱出して吉野へ逃げる下りなどは、「國栖(くず)」そのものですし、新田義貞がぬかるみに馬を駆け込んで流れ矢に当って亡くなるなど、「巴」「兼平」に描かれる木曽義仲の最期とそっくりです。これはもともとの太平記が平家物語の影響を受けているのですから、何の不思議もないのかも知れません。しかしやはり何かひっかかるものがあります。ひょっとすると能の作者が書きたかったのは、平家物語ではなく太平記ではなかったのでしょうか。

去年の震災を受けて、この状況を何とか能で表現出来ないだろうか、原発を呪鎮する能というものは出来ないだろうか、などと考えて、少し試みてみるのですが、どれも底の浅いものでしかなくて、とても「能」と呼べるレベルまで上って行きそうにありません。テーマを直接述べたてても、そろそろ倦んできたメッセージソングのようなものにしかならないのです。そこでそれを古典の中に隠喩として表現するという方法が考えられるのですが、能作者の方法も同様だったのではないかと思うのです。

例えば私は、恋しい男の形見の舞の装束を身に纏って舞を舞ったのは、世阿弥の母親かも知れないと思っているのですが、「富士太鼓」や「梅枝」が直接それを扱っているのに対し、「井筒」や「松風」はそれぞれの歌物語に仮託して、舞を舞うことによる昇華を見事に描いています。

さらに舞台での表現というものは、しばしば体制批判の性格を帯びます。それは演技者というものが持っている特徴の一つなのではないでしょうか。近代の演劇は革命運動と密接に関係していたようですし、歌舞伎もお上の目を憚って、例えば忠臣蔵などは正に太平記の世界に仮託して、その裁きの不公正さを訴えたのではなかったでしょうか。しかし、体制の側からすれば、たかが芝居のことと放置出来ないこともあるでしょう。近代においてさえしばしば弾圧を受けたようですから、江戸時代の歌舞伎の大胆さはむしろ特筆すべきものかも知れませんし、逆に江戸時代はそれだけ成熟していたと考えることも出来るかも知れません。しかし南北朝の統一後まもない室町初期の時代に、そのような成熟は望むべくもありません。当事者あるいはその子供や孫が健在でいる物語を、舞台で表現すると言うことは、悪く描くにしろ良く描くにしろ差し障りが生じます。本当に言いたいことをそのまま言ってしまっては、一個人の命だけではなくその属する共同体の存続にも影響したでしょう。

世阿弥の素晴らしいところは、古典(「当時」の古典即ち源氏物語や平家物語、伊勢物語など)の世界に仮託することが、単に当局の目を眩ますだけではなく、より高い芸術性と普遍性を獲得したことです。「本節正しき能」と世阿弥が言う時、その意味は従来の解釈と少し異るように私には思えます。そういう目で能の曲目を見直してみると、今まで武家の式楽というとりすました顔の下から、思わぬ生々しい実相が浮び出てくるかも知れません。

能楽師への道への曲がり角

さてもう一点の私的なこととは、私自身が「私本太平記」から受けていた影響です。

先にこの本を読んだのが中学生の頃だと思う、と書きました。私の読書体験において、中学二年生後半から始まる太宰治への傾倒は大変なもので、その時に受けた負のイメージ、ネガティブな精神性は、本当に最近まで私を支配していたように思います。そしていくつかの歴史小説を読んだのはその前でした。海音寺潮五郎の「平将門」を読んでいて、その表紙に女性の裸体の挿絵があって、同級生の女子にからかわれたのは二年生でしたから、「私本太平記」を読んでいたのはその前になります。

今回の読み直しで、最初は以前に読んだ記憶になかなか確証が得られなかったのですが、途中でこれは間違いないと思った場面があります。新田義貞に攻められての執権・北条高時の最期を描いた「高時曼荼羅」の一節です。奇矯・驕慢な高時が最期に臨んで、炎に焼かれながら舞を舞い自刃する、その有様の何とカッコ良いことでしょうか。子供の時にこれを読んで、やはり同じようにこの高時の滅びの美しさに大変な魅力を感じたのです。それをまざまざと思い出しました。

さらに読み進めて行くと、楠正成の最期がやはり美しい。稀代の名文家が筆を惜しまずに書き尽しています。新しい勢力と古い勢力が覇を競う時、滅びの姿の美しさというものに、中学の頃の私はどうしようもなく惹かれてしまったのです。

この直後に太宰にのめり込む、その下地がこの「私本太平記」で作られていました。その頃は自分が能楽師になるなど思ってもいませんでしたが、その道への大きな曲がり角を、この本を夢中で読んでいたあの時、私は確かに曲がったに違いありません。

【中所さんの舞台】

◆観世九皐(きゅうこう)会春季別会「山姥 白頭」   4月28日12時45分、国立能楽堂(地下鉄大江戸線国立競技場駅駅A4出口徒歩5分)。中所さんがシテを務める。全席指定S正面席1万円、A脇正面席、B中正面席とGB席6000円、学生席(B席)4000円。

《申》042-550-4295、nakashonobuo@nohnokai.com中所宜夫能の会、03-3268-7311観世九皐会(http://www.kanze.com/)。

◆北上・慶昌寺 花まつり能楽らいぶ「殺生石」  6月3日15時、慶昌寺(岩手県北上市和賀街煤孫18-208)。出演は中所宜夫さん、鈴木啓吾さん、中所真吾さん。能上演前に、福島県在住の詩人で、東日本大震災後に積極的に発信している和合亮一さんと中所宜夫さんによるコラボレーションがある。参加費500円。

《申》0197-73-5042慶昌寺(http://keishoji.e-tera.jp/)。

◆青梅アートジャム能楽らいぶ 吉川英治へ捧ぐ「高時曼荼羅~『私本太平記』より~」   6月17日14時、吉川英治記念館(青梅線二俣尾駅徒歩15分)。3000円。

《申》042-550-4295中所宜夫能の会。

 

 

 

Page 1 of 6 1
インフォ画像
ピアノカフェショパン 三和道場 東京多摩タウンズ たまけん広告 東京多摩タウンズ