観世流能楽師・中所宜夫の「能楽雑記帳」 

第十二回 「東岸居士」について

 

 

世阿弥の作品に「東岸居士(とうがんこじ)」という曲があるのですが、今はほとんど演じられません。来月9日に観世九皐会例会で私がシテをいたします「呉服(くれは)」という曲も、やはり世阿弥作ながらあまり演じられない曲です。

世阿弥といえどもそうそう人気曲ばかり作っていたわけではないようですし、後の能楽師たちから絶対の存在であったわけでもないようです。明確な世阿弥作でありながら廃曲となったものもあれば、世阿弥本と現行曲とで全く違った演出になっている曲もあります。もっともこれなどは、その時々に胸に響く演能を工夫してきた先達の成果であり、教条主義にならなかった証拠として考えるべきで、世阿弥に対する尊敬が薄かったなどというつもりはありません。

さてその「東岸居士」の舞囃子で地頭をする機会を得て、少し勉強してみたのですが、この殆ど演じられない曲に、やはり世阿弥の作品としての面白さが見えて来ましたので、この機会に少しまとめてみたいと思います。

傑作「自然居士」

さて「東岸居士」について語る前に、観阿弥作の傑作「自然居士(じねんこじ)」について簡単にお話ししましょう。

「居士」は剃髪せず俗体のまま説法を行う修行者のことで、仏の教えを伝えるために舞を舞ったり謡を歌ったりして修行している者たちのことです。自然居士が雲居寺で7日間の説法修行をしていましたが、小袖を供物にして亡き両親の菩提を弔う女児が現れます。その孝心に感じつつ自然居士が説法をしていると、一団の荒くれ者が女児を連れ去ってしまいます。さては自分の身を人買いに売って供養の形物としたと知った居士は、近江坂本まで追いかけて行き、まさに漕ぎ離れようとする舟を呼び返して、人商人と押し問答の末、ついに女児を取り返して都に連れ帰ります。巧みな場面転換、居士と人商人とのやりとりの面白さ、女児を返す引き換えに居士に舞を要求して次から次へと舞を舞わせるその舞の面白さ、などこの曲は観阿弥の代表作であり、現在でも人気のある文句ない傑作です。

余談ですが私は、この曲の特に場面転換の巧みさは、演劇に携る多くの方々に知っていただきたいと思います。

ほとんど演じられることのない曲

さて、そういう父であり師である人の作品を受けて、世阿弥が書いた作品が「東岸居士」であろうと思います。ところがこの作品は現在ほとんど上演されないのです。まず劇的手法において「自然居士」とは比べものになりません。

遠国から都に上って男(ワキ)が清水で東岸居士と出会い、少し言葉を交した後、その説法としての舞を見聞します。そして以下、中之舞を折込んで、一遍上人の法語を元にした曲舞を舞い、さらに羯鼓からキリの舞となり、その最後には「万法皆一如なる実相の門に入ろうよ」と説法を結んでいます。父の曲と比べてみると、劇的な部分の乏しさは一目瞭然で、ただ曲舞を舞うだけの曲と言っても良いでしょう。

しかし曲中このような言葉があります。ワキ「さてこの橋は如何なる人の架け給ひたる橋にて候ぞ」シテ「これは先師自然居士の。法界無縁の功力を以て。渡し給ひし橋なれば。今またかやうに勧むるなり」。そして一連の問答を挟んで曲舞となります。

父で師の観阿弥に対する世阿弥の言葉

自然居士も東岸居士も実在の人で東岸居士は自然居士の弟子なのです。この「橋」を「曲舞」に置き換えれば、これはそのまま観阿弥に対する世阿弥の言葉となるでしょう。いや曲舞だけではなく一曲全体をそのように考えても良いでしょう。「自然居士」は後に世阿弥が父の舞台を思い出して、「五十過ぎなのに十代の少年のように見えた」と述べている、世阿弥自身が父の代表作のように思っていた曲です。それに対して「自分の作品はこうだ」と創作したものが「東岸居士」であるはずです。

プロットという言葉は西洋の演劇の言葉なのであまり使いたくないのですが、観阿弥がプロットの面白さを売り物にしていたのに対して、世阿弥は自分の作品はプロットではないのだ、と主張しています。それでは何かと言えば「曲舞」なのです。

観阿弥の曲舞は「白髭」にしろ「自然居士」にしろ縁起譚に終始して、甚だ叙事的であるのに対し、「東岸居士」の曲舞は一遍法語をもとに仕立て上げていて、それがそのまま法話となっています。その作調の巧みさもまた際立っています。少し長いのですが、全文を引用します。

 

[次第]地謡「御法の舟の水馴棹。御法の舟の水馴棹。皆彼の岸に至らん。」

[一セイ]シテ「おもしろやこれも胡蝶の夢の中」地「遊び戯れ舞ふとかや。」《中ノ舞》

  [クリ]シテ「鈔に又申さく。あらゆる所の仏法の趣」地「箇々円成の道すぐに、今に絶えせぬ跡とかや。」

  [サシ]シテ「但し正像すでに暮れて、末法に生を受けたり。」地「かるが故に春過ぎ秋来れども、進み難きは出離の道。」シテ「花を惜み月を見ても、起り易きは妄念なり。」地「罪障の山にはいつとなく、煩悩の雲あつうして、仏日の光晴れがたく」 シテ「生死の海にはとこしなへに、」地「無明の波荒くして、真如の月宿らず。

      [クセ]「生を受くるに任せて、苦にくるしみを受け重ね、死に帰るに随つて、冥きより冥きに赴く。六道の巷には、迷はぬ所もなく、生死の枢  (とぼそ)には、宿らぬ住家もなし。生死の転変をば、夢とやいはん。又現とやせん。これら有りといはんとすれば、雲と上り煙と消えて後、其    跡を留むべくもなし。無しといはんとすれば又、恩愛の中、心とゞまつて、腸を断ち、魂を動かさずといふ事なし。彼の芝蘭の契の袂には、骸をば愁嘆の焔に焦がせども、紅蓮大紅蓮の氷をば終に解かす事なし。鴛鴦の衾の下に眼をば、慈悲の涙に潤せども、焦熱大焦熱の焔をば、終にしめす事なし。かかる拙き身を持ちて、」シテ「殺生偸盗邪婬は、」地「身に於て作る罪なり。妄語綺語悪口両舌は、口にて作る罪なり。貪欲嗔恚愚痴は又、心に於て絶えせず。御法の船の水馴棹、皆彼の岸に至らん。」

 

如何ですか。難しいですね。これって現代語訳しても本当のところは、難しいと思います。しかしその難しい内容を謡の節づけによって、初めての人にも伝わるように聞かせる、それが世阿弥の目論んだところです。元になっている一遍法語と比較してみれば、そこで世阿弥が施した工夫がより明確になりますが、いささか専門的になりすぎますので、ここではやめておきます。

さてこの「東岸居士」ですが、世阿弥が自らの道を見出したにもかかわらず、おそらく当時も不評だったのではないかと思います。今と違い、おそらく内容は見る人に伝わったと思います。しかし、やはり如何にしても劇的感興に乏しい。「自然居士」と本曲でどちらが見たいかと言えば、やはり父観阿弥の作品でしょう。おそらく世阿弥は、自ら確認した曲舞の可能性をテコにして、そこからさらにもうひと工夫を加えて「複式夢幻能」の形式を編み出したのではないでしょうか。

 

【中所さんの舞台】

◆英治忌能楽らいぶ「『私本太平記』より高時曼荼羅」     9月7日16-17時、吉川英治記念館(青梅線二俣尾駅徒歩15分)。新田義貞が攻め寄せ、焼け落ちる炎の中で薙刀を手に舞を舞う、鎌倉幕府最後の執権・北条高時の最後の姿を描く。6月に初演した書き下しの新作能を、英治忌に再演する。1人4役のひとり能楽らいぶ。無料(入館料500円必要)。

《問》0428-76-1575同記念館。

◆観世九皐会例会    9月9日13時、矢来能楽堂(地下鉄東西線神楽坂駅2番出口=矢来口=徒歩2分)。中所さんによる「呉服(くれは)」と、桑田貴志さんによる「天鼓」上演。正面指定席6000円、脇・中正面指定席5000円、自由席4000円、学生2000円。

《申》03-3268-7311観世九皐会事務局。

http://www.kanze.com/

◆第3回翡翠能・能楽らいぶ「松虫」と「花奉」     9月21日15時、ホテルハーヴェスト「箱根翡翠」(箱根登山鉄道強羅駅から送迎バス)。笛の松田弘之さんを迎えての二人らいぷ。古典「松虫」の一部と、石牟礼道子さんの詩を元に創作した新作「花奉」を上演。

《申》0460-84-5489箱根翡翠

 

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